木部 貞朝(きべ さだとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

略歴

木部氏は上野国緑野郡(多野郡)木部村の国人。

木部範虎の嫡男として誕生。父・範虎は箕輪城主・長野業正の娘婿であったが、甲斐武田氏に降った後、天正10年(1582年)の天目山の戦いで討死したため、貞朝が家督を継いだ。

貞朝は武田氏を滅ぼした滝川一益に従うが、滝川と小田原北条氏との合戦「神流川の戦い」において討死した、とされているが、同合戦後は小田原北条氏に帰属した。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、北条氏は領地を失い、当主の北条氏直は高野山に蟄居させられた。これに貞朝は随行した。氏直は早々に許されることとなり、新たに領地も与えられる予定であったが急な病により死去した。貞朝は追腹を切ったと伝わるが、京で病死したとも伝わる。

木部氏の家督は弟の直高が継いだ。北条氏の後の関東を治めることとなったのは徳川家康だが、直高の子の直時(直方)が徳川幕府第二代将軍となった徳川秀忠に仕え、子孫は江戸幕府旗本となった。

脚注


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北条高時ドットコム

木部北城 木部範虎と木部貞朝 お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】

木部しげの

木村 貞基 株式会社 アルファ建築設計事務所 登録建築家