池田 浚吉(いけだ しゅんきち、1893年(明治26年)2月20日 - 1948年(昭和23年)3月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級
経歴
1893年(明治26年)に福岡県で生まれた。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第37期卒業。1936年(昭和11年)8月に陸軍省兵務局課員となり、1937年(昭和12年)11月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に野戦重砲兵第5連隊長に就任。1939年(昭和14年)1月に第7師団参謀長を経て、1940年(昭和15年)4月に陸軍野戦砲兵学校教官となった。
同年8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍野戦砲兵学校幹事に着任。1941年(昭和16年)4月10日に砲兵監部附となり、8月12日に東部軍砲兵隊長を経て、1942年(昭和17年)3月2日に陸軍野戦砲兵学校長に転じ、1943年(昭和18年)10月29日に陸軍中将に進級。1944年(昭和19年)3月4日に第35師団長(第2方面軍・第2軍)に親補され、ニューギニア戦線に出征。フォーゲルコップ半島・サンサポールで連合軍に執拗な攻撃を行い、敢闘した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
脚注
参考文献
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。




