イズナール・デジャルダン (仏:Isnard Desjardins、1814年1月14日 - 1894年11月11日) は、フランスの版画家。1845年に亜鉛版を用いたカラー印刷技法「クロモタイポグラフィ」を開発した。

彼自身の知名度はそれほど高くないが、彼の姓を冠した「デジャルダン・プロセス」はカラー印刷がまだ一般的ではなかった19世紀後半の印刷業界において人気があった。

生涯

デジャルダンは始めパリ国立高等美術学校で画家のアントワーヌ=ジャン・グロと版画家のオーギュスト・フォシュリー(Auguste Fauchery、1798-1843)に師事した。彼は歴史画を習い、のちにエッチングを専攻し、複製版画も学んだ。

1845年に彼は独自にクロモタイポグラフィによる印刷技法を完成し、1855年のパリ万博で2つのメダルを獲得した。彼のクロモタイポグラフィで印刷された最初の絵画は、アレクサンドル・マリ・ギルマン (1847年)、ウジェーヌ・ドラクロワ (1850年)、アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン、そしてルイ・ル・ポワトヴァンの作品であった。

「デジャルダン作の複製画」は人気を得て、彫版の技法は異なるものの、クロモリトグラフでも印刷された。そこで彼はおもに J. Desjardin と署名している。 その後、彼は自分の作画精神をより明確にするために、カンヴァスに直接クロモタイポグラフィで印刷することを試みた。

デジャルダンの工業化された工程は、デジャルダン・グラブレとも呼ばれ、例として定期刊行物の「ル・マガザン・デドモアゼル」におけるアデル=アナイス・コラン・トゥードゥーズの絵画の印刷に用いられ、子供向けの本の印刷にも使用された。

彼は1894年に死去した。モンマルトル墓地の6区にある彼の墓にはアルフレッド・ボレルが作成したメダイヨンが設置されている。

脚注

外部リンク


Jordan and Israel / ヨルダンとイスラエル 20178 石黒アツシ

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四季の山野草(ペルル デ ジャルダン)

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