エルデン・ジェローム・キャンベル (Elden Jerome Campbell (1968年7月23日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元バスケットボール選手。NBAのロサンゼルス・レイカーズなどで活躍し、2004年にはデトロイト・ピストンズでNBAチャンピオンを経験した。
経歴
ロサンゼルス近郊の高校卒業後、クレムゾン大学に進学。4年間で平均15,3得点 6,8リバウンド 2,7ブロックという成績を残し、NCAAトーナメントにも出場するなど、同大学の中心選手として活躍したキャンベルは、1990年のNBAドラフトで、地元のロサンゼルス・レイカーズから27位で指名された。
入団以降ブラデ・ディバッツと共にインサイドで奮闘し、90年代のレイカーズの中心選手として活躍してきたキャンベルだったが、1996年にシャキール・オニールが加入して以降状況が一変。オニールはキャンベルのプレーぶりに不満を持つようになる。結局1999年3月10日にエディー・ジョーンズと共にグレン・ライスとのトレードでシャーロット・ホーネッツに放出された。
2002-2003シーズン途中、ジャマール・マグロアの台頭もあり、シアトル・スーパーソニックスに放出された。
2003年夏、デトロイト・ピストンズと契約。2003-2004シーズンは1990年以来のNBAファイナル進出となり、相手はキャンベルの古巣でもあるロサンゼルス・レイカーズとの対戦となる。キャンベルはベン・ウォーレスと共にレイカーズ時代に因縁が深かったシャキール・オニールとのマッチアップで奮闘。ピストンズは4勝1敗でレイカーズを下し、念願のNBAチャンピオンを経験した。
翌2004-2005シーズンは、ニュージャージー・ネッツなどを渡り歩いた後、最終的にピストンズに復帰。プレーオフのマイアミ・ヒートカンファレンスファイナルでは、再びヒートに移籍してきたシャキール・オニールとのマッチアップとなったが、4勝3敗で勝利し 、2年連続でNBAファイナルに進出。サンアントニオ・スパーズとの対戦は、第7戦までもつれたものの74-81で敗退。シーズン終了後、ピストンズから契約を更新されず引退した。
脚注
外部リンク
- NBA.com
- basketball-reference.com




