オテル・デ・ミル・コリン(フランス語: Hôtel des mille collines)とは、ルワンダの首都、キガリにあるホテル。1994年のルワンダ虐殺の際に、1000人以上の避難民をかくまった場所として有名になった。映画『ホテル・ルワンダ』は当時の支配人であったポール・ルセサバギナの話をもとにしている。ホテルの名前になっている、フランス語のミル・コリン(千の丘)とは、ルワンダの別称である。

歴史

1973年に建設され、ルワンダ虐殺の当時は、サベナ・ベルギー航空社がホテルを経営していた。ルワンダ紛争の停戦を監視する国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)は1993年10月の発足当初はホテルを本部にしていたが、翌11月にUNAMIR司令官のロメオ・ダレールとルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領は、1986年に中華人民共和国によって建設されたアマホロ・スタジアムを新たな本部に代えた。ホテルのヨーロッパ人支配人は退避しており、副支配人であったルセサバギナが支配人となった。フツ族の民兵に賄賂を使って避難民を虐殺から守り、水や食料を確保する手配を行い、1000人以上の避難民が助けられた。

現在でも四つ星ホテルとして営業している。施設には112の客室、カフェバー、3の会議室、レストラン、プールがある。公式ホームページによれば、2005年9月15日に、サベナ社から、ルワンダのミッコー・ホテルズ・ホールディング(Mikcor Hotels holding)に経営譲渡された。

脚注

出典・参考文献

  • ポール・ルセサバギナ 『ホテル・ルワンダの男』  堀川志野舞訳、ヴィレッジブックス、2009年。 - 自伝

外部リンク

  • Hôtel des Mille Collines

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